神奈川大学日本常民文化研究所

研究所紹介

韓国国立木浦大学校島嶼文化研究院・島の人文学研究団(韓国)

※下記は国際常民文化研究機構Webサイトから転載したものです。

木浦大学校島嶼文化研究院訪問・多島海漁業調査

日程:2015年2月12日(木)~2月15日(日) 3泊4日
参加者:小熊誠、昆政明
訪問先:韓国木浦市 木浦大学校島嶼文化研究院、宝城大浦里、南海、珍島屈浦里、生日島

  • 木浦大学校島嶼文化研究院訪問
  • 大浦里でハイガイ養殖について聞く

 12日は木浦大学校島嶼文化研究院を訪問。2015年度に木浦大学校で開催される東アジア島嶼文化海洋フォーラムへの参加と2016年度の神奈川大学での開催の打診。2015年度に本学で開催予定の国際フォーラムへの協力、講師派遣依頼等について話し合いを行った。2016年度のフォーラムについては、台湾海洋大学での開催が予定されており、本学での開催は2016年度以降となる見通しである。その他の事案については快諾された。

 13日は島嶼文化研究院の宋寄泰、李惠燕両氏の案内で木浦から東の漁村部を調査した。まず、全羅南道宝城郡筏橋邑大浦里ではハイガイ養殖について聞き取りを調査した。この地域は広大な干潟が広がっており、ハイガイは稚貝を採取し、割り当てられた干潟の地撒き区画に移し成長させる方式である。稚貝の採取や地撒きには、日本の有明海で使用される潟板と同様のノルというものが使用される。この地域では2種のハイガイと赤貝の養殖が主であるが、水田耕作も行っている。ここから次の調査地である海南の地主尹氏を訪問する途中、宝城市の駅前市場においてこの地域の海産物を調査し、ハイガイ他多くの養殖魚介類を撮影した。海南の尹氏は珍島の干拓なども行った旧家で、現当主は20代目にあたるという。広大な屋敷は史跡として整備され、尹氏関連の資料と、一族の高名な画家である尹斗緒の作品が展示されている。ここには多くの古文書が残されており、朝鮮総督府時代の文書に漁場図等が含まれることを期待したが、今回の調査では実物を確認するには至らなかった。ここからさらに珍島に渡り屈浦里の里長朴基二氏から干拓地や堂の祭祀に関する話を伺った。

  • コンブ養殖の間引き作業(生日島)
  • 畑を転用した一面の干場(生日島)

 14日も宋、李両氏の案内で木浦から東南の莞島郡薬山島からフェリーで生日島に渡り、コンブ、ワカメ、アワビの養殖と加工について調査した。案内してくれたのは研究院の職員、鄭さんの夫である鍾官さんで、まず生日島の概要を説明してくれた。現在養殖場は6カ所あり、くじ引きで割り当てを決め期間は5年である。漁場の配分や権利については時代により変化している。養殖が盛んになったのは、ワカメの場合は25年ほど前からで、アワビは他地域より遅く10年ほど前である。養殖以前の漁業については十分に調査できなかったが、底引き網主体であったという。今回は天候にも恵まれ、船で養殖場に案内していただいて養殖施設や作業方法、実際の作業状況を調査することができた。その後、島内を回り展望台から島と養殖場の位置関係や、コンブやワカメを乾燥する干場の様子を大観した。この島の土地利用で注目されるのは、養殖が盛んになる以前に耕作されていた農地がほとんど干場に転用されていることである。

 今回の調査は事前に綿密な調査計画を作成していただいたため、短期間にも関わらず広範囲の調査地を回ることができた。また、各調査地では話者の手配もしていただき貴重なお話を聞くことができた。木浦大学校島嶼文化研究院のご配慮に深く感謝すると共に、今後、相互協力による共同研究の発展を希望したい。

(文責:昆政明)

史資料整理方法の検討会を開催

日程:2013年1月10日(木)~1月12日(土)     
参加者:田上繁、越智信也

 研究院および機構合同で、史資料整理方法の検討会を開催し、意見交換を行った。

木浦大学校島嶼文化研究院、韓国・比較民俗学会主催のシンポジウム「東アジア島嶼の人文学と女性」及び共同現地調査

日程:2012年11月15日(木)~19日(月)

概要
 2012年11月15日~19日、木浦大学校島嶼文化研究院、韓国・比較民俗学会主催のシンポジウム「東アジア島嶼の人文学と女性」(写真下)参加、及び、島嶼文化研究院との共同現地調査に、佐野賢治(比較民俗学会の招聘)、田島佳也、安室知、川島秀一、越智信也、李徳雨の機構関係者が参加した。

行程
11月15日(木) 
 羽田空港よりKE2712便で金浦空港(ソウル)へ、李徳雨氏と合流。龍山駅よりKTXで木浦へ、李京燁先生一向の出迎え。宿泊所全南女性プラザ到着後、市内で歓迎晩餐会(木浦大学校島嶼文化研究院、韓国比較民俗学会、鹿児島大学関係者、写真下)

11月16日(金) 
 全南女性プラザでの(写真上)、比較民俗学会1日目第2部で安室報告「 日本におけるアマと磯魚の関係」、指定討論者/ 李京燁Lee Kyungyup(木浦大 教授, 島嶼文化研究院 副院長)、第3部で佐野報告「鰻の道 —日本民族文化形成の一断面—」、指定討論者/ 朴正石Park Jeongseok(木浦大 敎授)、夕刻から歓迎晩餐会

11月17日(土) 
 午前中比較民俗学会二日目第6部で川島「災害伝承と漁民信仰」
指定討論者/任章赫Im Janghyuk(中央大 教授, 比較民俗学会副会長) 報告後(写真下)、田島、越智より海洋文化研究を中心にした日本常民文化研究所、及び機構の紹介(写真下)。

 昼食後より珍島・加沙島巡見調査に出発。木浦市内文化地区の国立海洋遺物展示館参観(新安沈船とその遺物を中心に展示)、珍島・龍蔵山城見学後、小学校の廃校舎を改築したカンガンスーレーの体験館(素浦(ソポ)村)に入宿。夕食後、木浦大学校国語国文学科BK21事業団海外碩学招請講座で佐野が「葬礼から葬式へ —十三仏信仰と日本的死者供養仏教の成立—」報告(写真下)。その後、村人ともにカンガンスーレーの体験(写真下)。懇談。

11月18日(日) 
 加沙島へフェリーで渡航、トラック乗車で加沙島踏査(草墳、堂山、灯台ほか、写真下)。昼食後、木浦大学校・神奈川大学以外の参加者はここで解散。全南女性プラザに帰還後、木浦市内で夕食会

11月19日(月) 
 朝食後、KTX乗車ソウル龍山駅経由で 金浦空港へKE2709便で帰国。

総括
 今回の島嶼文化研究院との学術交流は、韓国比較民俗学会との共催的行事進行の中で行われた。交流会では、折からの独島・竹島をめぐる問題に対し、政治・経済方面に先行して関係各国の共同学術調査から始めようとか、東シナ海・東海を東アジアの地中海として位置づけようなどと自由な意見交換が行われた。こうした率直な学術交流の積み重ねが遠回りのようでも今最も求められるものであろう。また、珍島での村人とのカンガンスーレーの交歓は、双方民謡の披露など文字通りの民俗交流の場となった。帰国直前、姜島嶼文化研究院長より、2013年1月に史料整理法について検討会に研究所の越智,田上所員を招へいし、指導仰ぎたいとの申し出があった。将来的には、魚具などの民具の整理法も教示してほしいとのことであった。着々と実質的な交流が進みつつあることを感じた。

(文責:佐野賢治)

瀬戸内海・二神島国際共同調査  

機上からの風景

日程:2012年3月12日(月)~15日(木)

 本機構の拠点である日本常民文化研究所は長年、瀬戸内海伊予灘に位置する忽那諸島 に属する愛媛県松山市二神島で調査研究を行っているが、今回、この調査に機構の学術交流の具体的推進の一環として韓国・木浦大学校島嶼文化研究院、姜鳳龍院長・洪善基教授、中国・上海海洋大学海洋経済文化研究センター、韓興勇教授の3名の先生方が現地調査に参加された。昨年3月、中国・舟山群島螞蟻島、今年度2月の韓国・多島海訪問を踏まえ、今後、日・中・韓3国でそれぞれの島を共通のフィールドにして調査し、その成果を互いに比較検討していく試みの予備調査である。
 短期間ながら、八幡神社・妙見神社から水神・恵比寿・厳島などの小祠、二神氏の中世墓地から現代にいたる墓地群など、島内をまず歩き景観と家並み、井戸の位置などを把握したのち、古文書班の漁業協同組合文書の写真撮影、墓地班の墓石実測、民具班の漁具・漁船大工道具の調査の実際を参観した。その後に、それぞれ先生方は関心のある分野の質問を地元の古老に熱心に聞き書きした。

  • 豊田氏(右)の説明に耳を傾ける韓教授、洪教授、姜院長
  • 島内を見て歩く

 朝鮮古代海洋史が専門の姜院長は二神島の二神の由来に関心を示され山の神・海の神の対応の観点から感想を述べられ、生態学が専門で、広島大学に留学経験のある洪教授は妙見山の原生的な植物相に驚かれていた。漁業経済史が専門とし本学で学位を取られた韓教授は二神島の振興を観光経済の観点から考える方向性を示唆された。

宿での夕食
中島学長との懇談

 共同調査の利点は、まさに同じ釜の飯を食べながら意見交換ができることである。実際、ミーティング後、酒が入るとまさに本音での意見交換、さらに民謡の披露など交流が進んだ。調査の場でも、聞き書きの質問内容、視角などから研究目的の差などがうかがえる。中国・韓国の研究者とも調査研究の成果を地域の振興にどう活かすのかという実践的志向が強いことを感じた。2月の、多島海訪問でも、エコ・パーク、スロウ・シティ構想など地域振興策が島嶼文化研究院の提言のもとに実際に行われていた。韓国勢は、調査後、中央水産研究所、日本離島センター訪問を日程に加えていた。

 今回の二神島調査でも、地元の歴史民俗に詳しい中島総合文化センター豊田渉氏が時間を割いてくれた。高齢化が進む中、われわれ調査団一行15人のために臨時に民宿を開設してくれた「西の家」の藤田夫妻にはこの場を借りて感謝したい。漁協も現在では魚の扱いを停止しているなど食材確保も大変なのである。また、少子化といえば、韓国からのお嫁さんが生んだ4人の子供さんが廃校になる前の二神小学校の全生徒であった。残念ながら韓国の先生方と島で対面はできなかったが、電話で声をかわすことはできた。庶民レベルでの国際交流もこのような形で進んでいる。韓国勢は一日早く帰り、中島学長と懇談し、折から公開研究会ために来学されていたフランス社会科学高等研究院日本研究所のパトリック・ベイヴェール教授と夕食会で意見交換することができた。また、日本離島センター訪問後、韓国の先生方とささやかな反省会を築地市場からの魚を売りにする新橋の居酒屋で催した。海が結ぶ文化、学術方面での交流の必要性が話された。今回の二神島合同調査は短時日であったにもかかわらず、今後の交流の望ましき有り方に大きな方向性を与えてくれた。

(文責:佐野賢治)

韓国・木浦大学校島嶼文化研究所との学術交流

日時:2012年2月12日(日)~2月16日(木)
参加者:井上潤・小熊誠・高城玲・菊地暁・泉水英計・加藤友子・金泰順・小林光一郎・因琢哉・岡田翔平・李徳雨

 今回の学術交流は、2013年没後50年を迎える渋沢敬三の記念事業委員会の助成も受け、2013年に開催を予定している国際シンポジウム(仮)「渋沢敬三の資料学」企画の一環として、機構の関係する研究グループ「第二次大戦中および占領期の民族学・文化人類学」・「アチックフィルム・写真にみるモノ・身体・表象」・「東アジアの民具・物質文化からみた比較文化史」、機構の運営委員でもある渋澤史料館・井上潤館長も加わっての合同チームでの調査となった。

学術交流協定式および「東アジア島嶼・海域学術検討会」 2月13日(月)     

 神奈川大学日本常民文化研究所・国際常民文化研究機構と韓国国立木浦大学校島嶼文化研究院・島の人文学研究団は、2011年4月1日付けで学術交流に関する覚書を交わしたが、3月11日に発生した東日本大震災の影響により調印式は見合わせていた。今回、共同ワークショップの機会を得て、島嶼文化研究院において、2012年2月13日、改めて調印式が執り行われた。式後、司会 李允先教授のもとで、東アジアの島嶼・海域の共同研究会を行った。姜鳳龍院長「木浦大学島嶼文化研究院について」、佐野「渋沢敬三の学問と日本常民文化研究所」、李京燁 副院長「多島海旅行覚書をめぐる研究動向」、高城「アチックフィルムについて」の発表後、DVD「多島海探訪記」が上映され、“常民”の概念などについて質疑応答が行われた。

  • 島嶼文化研究院 姜鳳龍院長(左)と日本常民文化研究所 所長、国際常民文化研究機構 運営委員長 佐野(右)
  • 調印式にて
  • 参加者全員での記念撮影
  • 島嶼文化研究院にて資料閲覧

多島海共同調査 2月14日(火) ~ 2月15日(水)

漁業指導船「全南213号」に乗船

 14日は島嶼文化研究院が手配してくれた新安郡所属の漁業指導船「全南213号」に乗船。下落月島・上落月島・水島・荏子島に上陸し、アチックフィルムとの照合などの調査を行う。台耳島は船上からの景観確認にとどまる。夕食後、荏子面事務所で1936年の島の映像上映と島の人々との懇談会を催し、木浦大学校付属の修錬院に宿泊する。
 15日は、鎭里をバスで出発、大光里を経て下牛里へ、波市の痕跡などを聞き書き調査。アチックフィルムの関係者、朴次奎氏(1935年生)の話を聞くために荏子面事務所に行き、瞼の母親に映像上で75年ぶりに遭うことに。同席した一同も感激する。 昼食後、智島を経由して、曾島羽田里でムラの堂木などを調査。 閉館まぢかの干潟博物館を急いで参観後、太平塩田の塩博物館を訪れ、干潟植物などを観察する。 

(文責:佐野賢治)

*調査経過は、以下の共同研究グループの報告を参照(外部リンク:国際常民文化研究機構)

学術交流協定締結

日程:2011年4月1日

 日本国神奈川大学日本常民文化研究所・国際常民文化研究機構と韓国国立木浦大学校島嶼文化研究院・島の人文学研究団は、2011年4月1日付けで島嶼および海洋文化研究における交流を促進するために、学術交流に関する覚書を交わしました。 
 当初、日本にて締結式を執り行う予定でしたが、3月11日に発生した東日本大震災の影響により見合わせとなり、今回は覚書のみ取り交すことになりました。