神奈川大学日本常民文化研究所

研究所紹介

上海海洋大学経済管理学院・海洋経済文化研究センター (中国)

※下記は国際常民文化研究機構Webサイトから転載したものです。

上海海洋大学主催第4回「海洋文化と社会発展」国際シンポジウムの報告

日程:2013年12月6日(金)~12月8日(日)
参加者:昆政明

  • シンポジウム会場
  • マッコウクジラの骨格標本と実物大模型を展示している「中国魚文化博物館」

 2013年12月6日、上海海洋大学において「海洋文化と社会発展」と題するシンポジウムが開催された。このシンポジウムは、上海海洋大学が主催し、同人文学院、同哲社部、同海洋文化研究中心、上海市水産学会、同漁業経済研究会等が協力するものであった。シンポジウムの責任者は上海海洋大学の韓興勇教授で、参加者は上海海洋大学をはじめ、広東海洋大学、青島の中国海洋大学、大連海事大学といった中国国内の各海洋大学および関連機関と、韓国済州国際大学、神奈川大学で、256頁におよぶ「論文集」が用意され19の発表があった。神奈川大学から参加した同歴史民俗資料学研究科昆政明は、「日本における木造船の発達過程と大型木造船の復元および帆走実験」について発表し、同研究科後期課程の于洋は中国舟山群島の「漁嫂」について報告した。

(文責:昆政明)

第3回海洋文化と社会発展シンポジウム「海洋文化と都市の発展」に参加

日程: 2012年11月1日(木)~11月4日(日)
参加者:小熊誠、新垣夢乃

シンポジウム概要

主催:上海海洋大学海洋文化研究センター、人文カレッジ(国家海洋胴親大海支局、上海市海洋の局、上海海洋大学)
協力:上海海洋大学外語学院、哲社部、上海市漁業経済的研究会、上海市欧米学会海洋分会。
日程:2012年11月1日~4日 (うち2日目検討会、3日は関連する実地調査)

瀬戸内海・二神島国際共同調査 

日程:2012年3月12日(月)~15日(木)

 本機構の拠点である日本常民文化研究所は長年、瀬戸内海伊予灘に位置する 忽那諸島 に属する愛媛県松山市二神島で調査研究を行っているが、今回、この調査に機構の学術交流の具体的推進の一環として韓国・木浦大学校島嶼文化研究院、姜鳳龍院長・洪善基教授、中国・上海海洋大学海洋経済文化研究センター、韓興勇教授の3名の先生方が現地調査に参加された。昨年3月、中国・舟山群島?蟻島、今年度2月の韓国・多島海訪問を踏まえ、今後、日・中・韓3国でそれぞれの島を共通のフィールドにして調査し、その成果を互いに比較検討していく試みの予備調査である。
 短期間ながら、八幡神社・妙見神社から水神・恵比寿・厳島などの小祠、二神氏の中世墓地から現代にいたる墓地群など、島内をまず歩き景観と家並み、井戸の位置などを把握したのち、古文書班の漁業協同組合文書の写真撮影、墓地班の墓石実測、民具班の漁具・漁船大工道具の調査の実際を参観した。その後に、それぞれ先生方は関心のある分野の質問を地元の古老に熱心に聞き書きした。
 朝鮮古代海洋史が専門の姜院長は二神島の二神の由来に関心を示され山の神・海の神の対応の観点から感想を述べられ、生態学が専門で、広島大学に留学経験のある洪教授は妙見山の原生的な植物相に驚かれていた。漁業経済史が専門とし本学で学位を取られた韓教授は二神島の振興を観光経済の観点から考える方向性を示唆された。

 共同調査の利点は、まさに同じ釜の飯を食べながら意見交換ができることである。実際、ミーティング後、酒が入るとまさに本音での意見交換、さらに民謡の披露など交流が進んだ。調査の場でも、聞き書きの質問内容、視角などから研究目的の差などがうかがえる。中国・韓国の研究者とも調査研究の成果を地域の振興にどう活かすのかという実践的志向が強いことを感じた。2月の、多島海訪問でも、エコ・パーク、スロウ・シティ構想など地域振興策が島嶼文化研究院の提言のもとに実際に行われていた。韓国勢は、調査後、中央水産研究所、日本離島センター訪問を日程に加えていた。

 今回の二神島調査でも、地元の歴史民俗に詳しい中島総合文化センター豊田渉氏が時間を割いてくれた。高齢化が進む中、われわれ調査団一行15人のために臨時に民宿を開設してくれた「西の家」の藤田夫妻にはこの場を借りて感謝したい。漁協も現在では魚の扱いを停止しているなど食材確保も大変なのである。また、少子化といえば、韓国からのお嫁さんが生んだ4人の子供さんが廃校になる前の二神小学校の全生徒であった。残念ながら韓国の先生方と島で対面はできなかったが、電話で声をかわすことはできた。庶民レベルでの国際交流もこのような形で進んでいる。韓国勢は一日早く帰り、中島学長と懇談し、折から公開研究会ために来学されていたフランス社会科学高等研究院日本研究所のパトリック・ベイヴェール教授と夕食会で意見交換することができた。また、日本離島センター訪問後、韓国の先生方とささやかな反省会を築地市場からの魚を売りにする新橋の居酒屋で催した。海が結ぶ文化、学術方面での交流の必要性が話された。今回の二神島合同調査は短時日であったにもかかわらず、今後の交流の望ましき有り方に大きな方向性を与えてくれた。 

(文責:佐野賢治)

第2回 海洋文化と社会発展に関するシンポジウム(上海海洋大学主催「海洋文化与社会发展研讨会」)の報告

訪問先:上海海洋大学
日時:2011年12月17日(土)~18日(日)
参加者:前田禎彦、藤川美代子

  • シンポジウム開幕の挨拶
  • 発表の様子
要綱集の表紙と目次

 2011年12月17日、上海海洋大学において「海洋文化と社会発展」と題するシンポジウムが開催された。このシンポジウムは、上海海洋大学と国家海洋局東海分局、上海市海洋局が共同で開催するもので、前年に引きつづき、今回で2回目となる。
 前日の夜、12時近くになって海洋大学に辿り着いた私たちが主催者の韓興勇先生から手渡されたのは、何とも分厚いシンポジウムの要綱集だった。めくると、286頁に亘り33人分の要綱が収録されている。なかには20頁以上に及ぶ学術論文もあり、発表者たちのこのシンポジウムにかける意気込みが伝わってくる。今回は、大陸側は上海海洋大学をはじめとして、青島の中国海洋大学、広東海洋大学といった各地の大学から研究者が参加し、そこに大陸外から台湾(台北市立教育大学、国立台湾海洋大学)、日本(神奈川大学)の研究者が加わるというメンバーとなった。

 17日の朝、宿泊施設のそばの学生食堂で冷えた体を温めようとお粥をすすっていると、一人の男性が笑顔で話しかけてきた。「何の研究をしているの?」と尋ねると、「いや、僕は研究じゃなくて商売をしている。このシンポジウムに興味があって、発表はしないけど韓先生に頼んで参加させてもらったんだ」と言う。後になって、この男性は海水汚染に適した環境技術を開発する会社の起業を目指していることがわかった。社会科学系の研究者の名前が並ぶなか、未来の起業家までシンポジウムに参加するということが、とても新鮮であった。これも、海洋資源保護に対する中国国内の関心の高さを物語る一例だろう。

 シンポジウムは、大学図書館の一室で大学の学長や海洋局の局長らを迎えて厳かに始められた。公務に忙しい学長と局長が席をはずし、司会を務める韓先生から「皆さん、もうリラックスしてくださいね。ここからは、仲間内だけですから」と声がかかると、会場が一気にゆったりとした空気に包まれた。今回は、発表者が30人以上と多く、会場を2つに分ける案もあったが、それでは参加者同士の交流が深まらないと考え会場を1つにしたという。時間が足りないので、発表は各自10分間を超過しないこと、と注意が促される。
 各発表の前に、日本では海洋文化研究がどのようになされてきたのかを紹介すべく、前田先生に日本常民文化研究所と国際常民文化研究機構の成り立ちについて口頭で説明する機会が与えられた。中国語への通訳は、韓先生が買って出てくださった。この後の交流では、研究者たちが前田先生のまわりを取り囲み、「中国では、日本の民俗学の父として柳田國男の本ばかりが翻訳されている。常民や民具などの対象に関心を向けるという素晴らしい研究姿勢を貫いた渋沢敬三の名が中国であまり聞かれないのは、非常に残念だ。もっと名を広められたらよいだろう」といった意見を次々口にした。
 大学院生や大学教員たちの発表は、港湾が果たしてきた役割を歴史学的に捉えるもの、海洋文化を民俗学やツーリズム研究の立場から考察するもの、さらに「海洋社会」建設実現に向けた制度改革の問題を分析するものまで多岐に亘った。私は、「闽南地区水上居民的生活与祖先观念(福建南部における水上居民の生活と祖先観)」と題し、長年、船を住処として河口や海で漁や水上運搬に従事してきた水上居民たちの祖先観を取りあげ、一般的な漢族の祖先観では祖先となりえない夭折者なども時に祖先の範疇に含まれることから、そこには漁中の事故など常に危険と隣合わせに生きてきた彼らの生活が垣間見られるとした。これに対しては、韓先生から上海周辺の水上居民たちが新中国成立後に次々と陸地に定着してゆく過程について紹介がなされ、こうした背景には私がフィールドとする福建省南部とどのような共通性と差異があるかといった質問が投げかけられた。

  • 上海海洋大学周辺の漁村
  • 漁村のレストラン
エクスカーションにて

 翌日の18日は、エクスカーションとして上海海洋大学から少し離れた所にある世界規模の貿易港である上海洋山港の見学に参加することができた。韓先生から、小さな普通の漁村が上海を支える大規模な港となってゆく過程について説明がなされた。港を臨む山に登る際には、17日のシンポジウムで顔見知りになった研究者たちと直に互いの情報を交換しあい、いつか共同研究ができたら、といった夢も語ることができた。その後、上海海洋大学周辺の漁村へ戻って食べた魚や貝の味が忘れられない。

追記

 今回のシンポジウムに参加するに当たり、上海海洋大学の韓興勇先生、寧波先生をはじめとする数々の先生方、大学院生の皆さまに大変お世話になりました。実りの多い、温かなシンポジウムの場に参加できたことを、心から嬉しく思います。どうもありがとうございました。

(文責:藤川美代子)

舟山群島漁村予備調査報告

日程: 2011年3月7日~3月9日
訪問先:中国浙江省舟山市
参加者:小熊誠、安室知

州湾跨海大橋
舟山の漁港

 国際常民文化研究機構は、上海海洋大学海洋経済文化研究センターと学術協定を締結している。その協定に基づいて、共同調査地点の設定を目的とし、当センターの調査基地である舟山群島螞蟻島への予備調査を実施した。
 当センターの韓興勇教授の引率によって、小熊と安室が予備調査に参加した。韓教授は、当センターの助手と大学院生を引率し、我々は歴史民俗学資料研究科の大学院生2名(藤川美代子、新垣夢乃)を同道した。また、螞蟻島で修士論文を書き、新年度から歴民の博士課程後期に入学する于洋さんが参加し、総勢8名の調査団となった。なお、学生たちは自主参加である。
 3月7日、我々は、上海南駅の長距離バスターミナルから出発した。午後1時50分に出発したボルボ社製の大型バスは、快適に高速道路を飛ばし、小1時間ほどで杭州湾跨海大橋を渡り切った。この橋は、杭州湾に架かる全長35673mの大橋で、現在世界最長の海上橋である。海の中に、一本道が伸びている感じで壮大ではあったが、周りは茶色く濁った海が見えるばかりで、さほどいい眺めとは言えなかった。鎮海区から舟山群島の島に架かるいくつかの橋を渡り、群島の中心である舟山島を西から東へ走り、5時50分に普陀区に到着した。高速道路一本、4時間で舟山島まで来ることができるので、上海と舟山は時間的にとても近くなった。
 その夜は、舟山市海洋与漁業局の劉舜斌局長と舟山市普陀区海洋与漁協局の林永平局長など、海洋・漁業に関わる人たちと夕食を共にした。そ舟山の漁港の中で、中国政府は、現在「舟山総合海洋開発実験区」として舟山市を第4の特区に指定して、この地域の開発に力を入れていることや、それに伴って上海からの架橋計画や鉄道敷設計画などがあるなどという最近の情報をいただいた。車窓から見た舟山の印象も、近年になって急速に開発が進んでいるように見えた。新たに開かれた工場誘致地区のバイパス道路沿いに、真新しいトヨタやホンダ、そしてフォルクスワーゲンや韓国の現代などの自動車販売店が軒を連ね、走っている車も新車が多かった。舟山市政府のある新市街辺りには、新しい高層マンション群が立ち並び、市政府庁舎自体が新しくモダンな建築物として目立っていた。経済振興が進み、地域が活気を帯びている様子がうかがえた。

  • 高速船
  • 海浜道路沿いの商店
  • 海浜道路沿いの民宿
  • 民宿の看板
実習基地の看板
レジャー漁業基地の看板

 翌8日の朝、沈家門碼頭から高速船で螞蟻島に渡った。ものの20分で螞蟻島に到着。螞蟻島は、面積2.64km²、周囲5kmほどの小さな島である。島民人口は、約5000人で、近年できた造船所の従業員がさらに約5000人いるといわれている。島のほとんどは丘陵地で、最も高い頂は海抜100mを越える。南から東の海岸沿いのわずかな平坦地に集落が広がっており、島の南に港がある。港から海に沿って東西に幹道が伸びている。海浜道路沿いの商店東に歩くと民宿や商店が建ち並んでいる。民宿はどれも新しく、「海辺漁家客桟」という看板が掛けられており、最近観光開発とともに新しい民宿が増えてきたと思われる。港には漁船が並び、道端ではエビなどの海産物が干されて、海の香りが漂う通りとなっている。
 
 海浜道路を300mほど東に行くと、北に伸びる道があって、そこを北に曲がってさらに200mほど行くと螞蟻島郷人民政府が左側にある。正面入り口には、いろいろな看板が出されている。その中実習基地の看板で、私たちの目にすぐに飛び込んできたのが、「上海水産大学経済管理学院 舟山市普陀区螞蟻島郷実習基地」という看板だった。上海水産大学は、現在の上海海洋大学の前身レジャー漁業基地の看板であり、その経済管理学院は、今回私たちを案内してくれた韓興勇先生の所属する学部である。韓先生たちは、すでにこの島での調査を継続しており、螞蟻島郷人民政府関係者とは親密な関係ができている。もうひとつ興味深い看板は、「レジャー漁業基地」の看板だった。舟山市普陀区人民政府が2008年3月に発行したもので、新しい。レジャー漁業とは、何か。これからレジャー釣り船を出すという話を聞いたが、その具体的な内容に興味を覚えた。とにかく、人民政府にはご挨拶に来たのだが、皆忙しいらしく、郷長さん等に挨拶を済ませ、すぐに島内巡見に出かけた。

  • 井戸水を汲む韓先生
  • 島でのインタビュー調査
アリ島(舟山列島) での調査風景

 この島では、まだ井戸が使われている。韓先生が、自分も小さい時祖母の家で井戸から水を汲んだことがあると、さっそく実習。集落の中を歩いて行くと、網を編んでいる女性がいたので、さっそくインタビュー。
 そうこうしているうちに、昼食時間となり、海浜道路に面した海産食堂に入る。しばらくすると、螞蟻島郷人民政府の党書記である繆剣剛氏と同じく人民政府の組織・広報担当の李維夫氏など数名の地元政府関係者が同席して昼食会となった。人民政府のトップが私たちの螞蟻島訪問を歓迎して下さり、中国式の乾杯で始まった昼食会は、美味しい海産物とともに乾杯が果てしなく続いた。お酒のいける人たちには嬉しくもあっただろうが、お酒攻勢による大変な歓迎会となった。

  • 螞蟻島創業記念室
  • 螞蟻島人民公社
財神廟

 午後は、螞蟻島の歴史・民俗的施設の巡見を行なった。まず、「螞蟻島創業記念室」に向かった。1950・60年代に、螞蟻島人民公社は、「国家から一銭のお金ももらわない」という自力更生の精神で努力をし、浙江沿海漁業として事業を成功させ、全国に名前が知られるほどの先進的漁業地域となった。1958年には、周恩来総理自筆の国務院賞状が授与され、1960年には当時の国家主席であった劉少奇が螞蟻島を視察に訪れている。この創業精神を後代の教育に生かすため、1994年に螞蟻島郷党委員会によって創業記念室が建設された。しかし、今やこの建物は、廃墟となってしまっている。今後、改修されるのか、建て替えられるのか、螞蟻島郷の党関係者に尋ねても明確な答えは返ってこなかった。
 次に、螞蟻島人民公社旧址を訪れた。1949年の解放後、中国政府は集団化政策を推進した。螞蟻島は、1952年以降4つの漁業生産合作社が成立していた。1954年には、この4つの漁業生産合作社が合併して、一島一社の大合作社となり、これを基にして、1958年に螞蟻島人民公社に改称した。漁業人民公社としては、全国でも唯一の事例であった。1982年にこの人民公社は解体したが、現在では螞蟻島の観光地点の一つとして保存されている。
 人民公社は東の山裾にあるが、山を越えると山の中腹に財神廟がある。廟守もおらず、参拝人もいない。近年新たに建てられたものである。そこから、眼下に見下ろせる西の入り江には、大きな造船所がある。5000人ほどが働き、島の人口の約半分を占める。そのほとんどは、外地出身者で、安徽省、江蘇省出身者が多いといわれている。   

  • 造船所
  • 天后宮
別荘式宿泊所

 造船所の入り口の脇には、天后宮がある。この廟は、古くから漁民に信仰されてきたが、今では門が固く閉められている。たぶん、天后廟の祭日にしか開けられず、参拝人もその時にしか訪れないものと思われる。観光開発が進み、大規模造船所ができ、地域が発展する一方で、このような伝統的な信仰は影が薄くなっているように見えた。

 私たちは、螞蟻島郷人民政府の計らいで、「海浜休閑会所」に泊まることができた。これは、観光開発に伴って、政府の外郭団体である螞蟻島旅游開発有限会社によって管理されている、別荘式の宿泊施設である。天后宮1棟2階建てで、中に8つほどの部屋がある。部屋ごとにバス・トイレが備え付けられており、1回には共用の応接間がある。食事のサービスはないが、近くにいくつも食堂があるので不便はない。この宿泊所は、海浜公園に隣接して建っており、海が眺められる。大変快適な宿泊所であり、今後の共同調査研究の拠点として、食住の条件も整っていると思われる。
 あとは、研究テーマを見つけて、共同調査を進めるだけである。多くの人たちの来島と調査研究の進展を期待している。 

(文責:小熊誠)

海洋文化と都市発展シンポジウム(上海海洋大学主催「海洋文化与城市发展研讨会」)の報告

訪問先:上海海洋大学
日時:2010年12月17日(金)~19日(日)
参加者:田島佳也、越智信也

  • シンポジウム会場の様子①
  • 田島氏の発表の様子②

 2010年12月18日上海海洋大学で、海洋文化と都市の発展(「海洋文化与城市发展研讨会」)をテーマとしたシンポが開催された。上海海洋大学は国際常民文化研究機構との学術交流協定校でもあり、シンポに参加した。前日の17日には講演者をはじめ、関係者を含めた中国・韓国・日本の研究者との交流の場が設けられた。シンポそのものは上海海洋大学の韓興勇教授が中心となって企画され、中国の国家海洋局上海分局、上海市海洋局、上海海洋大学が主催した。参加者は、上海海洋大学はもとより、中国海洋大学(青島)、華東師範大学(上海)、韓国の木浦大学校、日本の神奈川大学国際常民文化研究機構など、海洋文化研究に取組んでいる東アジア諸都市の大学・研究機関から参集した。

 本機構からは田島佳也と越智信也が参加した。田島は「北日本に展開した鰊漁業-海と人と森-」と題し、北海道を中心に展開した鰊漁業とその加工の過程に関わった現地従事者の様相や資材と燃料に使われた森林資源との関わりを、絵画と写真資料を用いて紹介した。越智は「「漁業制度資料調査保存事業」と日本常民文化研究所」との関わりを、1949年からの水産庁委託事業たる「漁業制度資料調査保存事業」の展開と、残された筆写資料の概要とその利用の問題を交えながら報告した。我々の中国語通訳は韓教授が行った。また、このシンポでは、韓教授の教え子、于 洋氏(文部科学省国費留学生。東京大学総合文化研究科在籍)による中国舟山列島と日本の山形県飛島の比較民俗調査についても報告された。中国舟山列島の漁村は現在、国際文化機構における検討課題の調査地でもあり、参考になった。ただ、シンポでは常時、日本語通訳がなされなかったので、中国の研究者の多彩な報告レジュメの中国語漢字から読み取るしかなかった。同様のことはハングル文字のレジュメを用意された韓国研究者の報告にもいえることで、興味深い報告を十分に理解することができなかった点が悔まれる。当然、それは討論の内容についてもいえることである。語学力の大切さを痛感させられたシンポでもあった。
 なお、田島・越智の上海滞在中は現在、文部科学省の国費留学生として東京大学総合文化研究科に在籍している于さんに通訳をしていただいた。記して感謝申上げます。

(田島佳也・越智信也)

追記

  • 長江の風力発電用風車
  • 洋山港周辺の砂利採掘場
洋山港のコンテナ埠頭

 シンポ終了の翌日19日、上海海洋大学のご厚意によるワゴン車で、舟山列島を望む港湾を視察した。韓興勇教授のご案内である。長江内にある夥しい風力発電用風車が林立は圧巻であった。それにもまして驚かされたのが、洋山港のコンテナ埠頭の威容である。風力発電用風車の劣らず、コンテナ用クレーンがはるか彼方にまで立ち並ぶ。将来的には日本の5大港の合計取扱量を凌駕することになるという。中国の開発のスピードは早い。
 一方、舟山列島は古くからの漁村でもあり、様々な伝統文化を伝えている。しかし、それも急速に都市化によって失われつつあると聞く。開発とそれらの生活文化との調和をどのようにはかっていくのかがこれからの課題か、とも実感した。韓興勇先生を始め、お招きいただいた上海海洋大学の鐘俊生、平瑛、その他の諸先生方に深甚なる心からの謝意と御礼を申上げます。また、通訳をしていただいた于さんにも感謝申し上げます。

(文責:田島佳也・越智信也)

学術交流協定締結

日程:2009年11月20日(金)

 2009年11月20日、当機構と、上海海洋大学経済管理学院・海洋経済文化研究センターは、海洋文化研究に係る学術交流協定を締結いたしました。