神奈川大学日本常民文化研究所

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企画展示室 企画展「和船・神奈川湊・横浜港」

展示パネルの大判写真の魅力をご覧ください

パネル展示コーナー
右から鎌倉時代の廻船、菱垣廻船、中国船(各10分の1模型)
右から鎌倉時代の廻船、菱垣廻船、中国船(各10分の1模型)
右から鎌倉時代の廻船、菱垣廻船、中国船(各10分の1模型)

 2019年3月に企画展示室の一部展示替を行いました。企画展示室はこれまで、和船の構造と帆走技術を中心に展示してきましたが、入り口部分の展示パネルを和船の帆走技術から、横浜と和船の関わりに変更しました。展示タイトルも「和船・神奈川湊・横浜港」とし、近世の神奈川湊と近代以降の横浜港と船を取り上げました。
 横浜港は1859(安政6)年に開港し、日本を代表する国際港湾都市に発展しました。しかし、この「開港」以前から神奈川湊が重要な湊として機能していました。特に江戸時代初期には江戸に送られる物資の多くは、神奈川湊で小型船に積み替えられていました。大型船の停泊地が品川に移ってからも、神奈川湊は日本各地をむすぶ湊として機能しました。
 展示パネルでは近世の神奈川湊、ペーリー提督の上陸から横浜開港、国際貿易港として発展する横浜港の様子を、写真を中心に紹介しています。展示替に当たっては、展示パネルに横浜開港資料館、神奈川大学図書館の所蔵資料を利用させていただいています。印刷物などで目にする機会のある資料ですが、大きく引き延ばされた写真は、迫力満点で細部までじっくり観察すると、これまでとは違った「気づき」が期待できます。
 一例をあげると、港湾荷役に活躍する艀(はしけ)ですが、明治時代中頃までは和船構造の艀が使われていますが、明治時代の末頃には洋式構造の艀に変わっています。また、写真パネルに合わせて、一部模型の入れ替えも行いました。菱垣廻船や中国船、船大工と和船建造など、従来の展示と合わせてご観覧下さい。
 また、地下1階ロビーには近藤友一郎氏が制作した100石(15トン)積弁才船の実物大部分復元模型が展示されています。

  • 企画展「和船・神奈川湊・横浜港」会場入口
  • パネル展示コーナー
    パネル展示コーナー
    横浜港「象の鼻」の艀(はしけ)和船構造から洋式船構造に変化
  • パネルは川・運河に係留される艀と五大力船
    模型左:神奈川県の打瀬船・右:五大力船(製作:近藤友一郎氏)
  • 左から中国船、菱垣廻船、鎌倉時代の廻船(各10分の1模型)
    左から中国船、菱垣廻船、鎌倉時代の廻船(各10分の1模型)
    左から中国船、菱垣廻船、鎌倉時代の廻船
    (各10分の1模型)
  • 100石(約15トン)積の弁才船実物大模型
    100石(約15トン)積の弁才船実物大模型
    100石(約15トン)積の弁才船実物大模型
  • 江戸時代の設計図をもとに帆柱部分を実物大で復元
    江戸時代の設計図をもとに帆柱部分を実物大で復元
    江戸時代の設計図をもとに帆柱部分を実物大で復元

近藤友一郎氏

 昭和3年(1928)、焼津(静岡県)にある近藤造船所、二代目船大工の父・佐吉の長男として誕生した。15歳で焼津造船所に船大工見習いとして入社、29歳で独立し近藤造船所を再興。静岡県相良町大江八幡宮の船祭で見た弁財船の模型の精巧な造船手法に感動し、伝統的な和船模型の製作を志す。平成元年(1989)、近藤和船研究所を設立。和船模型の製作、展示とともに関連資料の調査・収集を行なう。平成16年(2004)、「現代の名工」に選出され「卓越技能章」受賞、2年後「黄綬褒章」を受賞。満79歳にて逝去。