神奈川大学日本常民文化研究所

調査と研究

基盤共同研究 日本常民文化研究所所蔵の川田順造文書を用いた 西アフリカ史・人類学史に関する基礎的研究

「第16回資料調査・第4回研究会」

「第16回資料調査」
日程:2026年6月26日(金)、6月28日(日)
調査先:日本常民文化研究所
調査者:
(6月26日)中尾世治、池邉智基、平山草太
(6月28日)中尾世治、池邉智基、平山草太、神代ちひろ、三津島一樹
「川田資料研 第4回研究会」
日程:2026年6月28日(日)13:30~17:00
会場:横浜キャンパス9号館12室(日本常民文化研究所)
参加者:泉水英計、中尾世治、池邉智基、神代ちひろ、平山草太、小綿哲、三津島一樹

図1 1973年のL’Observateur(『オプセルヴァ
トゥール:ヴォルタ日刊情報誌』)の一部

 2026年6月26日、28日(午前中)に、中尾世治、池邉智基、平山草太、神代ちひろ、三津島一樹が川田資料の第16回資料調査を実施した(神代、三津島は28日のみ参加)。なお、27日にも資料調査を予定していたが、台風の近接のため、中止とした。
 今回の資料調査では、川田の主たる研究テーマであった口頭伝承に関連する資料群や長期滞在をおこなった1970年代のフィールドノート等の読解をすすめたほか、川田が収集したオート・ヴォルタ(現、ブルキナファソ)などの新聞・雑誌、川田によって採録された口頭伝承などのカセットテープの目録作成をおこなった。
 特に1970年代のオート・ヴォルタの新聞・雑誌は、ブルキナファソ国立公文書センターを含め、世界的にほとんど残されておらず、とても貴重なものとなっている。まず、代表的な全国紙がとりあげられる。月に2回発行されていた政府発行誌の Carrefour Africain : Bimensuel National d’Information de la République de Haute-Volta(『カルフール・アフリカン:オート・ヴォルタ共和国全国情報誌』)は、1968年から1975年までのものがある。1973年のものが最も収集されており、およそ9カ月分は抜けがないものとなっている。また、民間の日刊の有力紙であった L’Observateur : Quotidien Voltaïque d’Information(『オプセルヴァトゥール:ヴォルタ日刊情報誌』)は1973年から1975年までをカバーし、1973年の創刊号を含む、特に1973年から1974年までのおよそ3割が収集されている(図1)。

  • 図2 MLN機関誌L’Éclair(『煌めき』)
  • 図3 Kibaré(『キバレ』)
  • 図4 Le Seta(『ル・セタ:週刊情報誌』)
  • 図5 Le Soleil de Haute-Volta
    (『オート・ヴォルタの太陽:大衆週刊誌』)

 そのほか、それぞれわずか数点ではあるが、新聞社ではない団体・組織の新聞・雑誌がある。フランス語圏西アフリカを代表する歴史家で政治家であったジョゼフ・キ=ゼルボによって率いられていた野党「全国解放運動」(Mouvement de Libération Nationale:MLN)の機関誌 L’Éclair(『煌めき』)(図2)、オート・ヴォルタ全国ジャーナリスト協会(Association Nationale des Journalistes de Haute-Volta:ANJHV)によるものと思われる批評・報道誌 Kibaré(『キバレ』)(図3)、同様の批評・報道誌である Le Seta : Bulletin Hebdomadaire d'Information(『ル・セタ:週刊情報誌』)(図4)や Le Soleil de Haute-Volta : L'Hebdomadaire du Peuple(『オート・ヴォルタの太陽:大衆週刊誌』)(図5)などがある。
 川田が長期滞在した1970年代は、オート・ヴォルタの民間ジャーナリズムの揺籃期であった。『オプセルヴァトゥール』の創刊号が象徴的であるが、この時期に簡易に発行されていた民間の新聞・雑誌が収集されていることは、この揺籃期の状況を反映している。川田は、1962年の初渡航以来、オート・ヴォルタの近代化にも関心を寄せていた。モシ諸王国の口頭伝承を用いた研究をおこない、「無文字社会」の側面に焦点をあてていたが、同時代の「文字社会」の複合化もまた、その視野に入っていたことがわかる。これらの資料群は、当時の時代状況やブルキナファソにおけるジャーナリズムの展開を知るうえで貴重な一次資料となっている。将来的に、国内外、特にブルキナファソの研究者や市民がアクセスできるようにすることが必要とされているだろう。
 6月28日には、1960年代の川田順造を主題とした第4回研究会を実施した。この研究会には、泉水英計、中尾世治、池邉智基、神代ちひろ、平山草太、小綿哲、三津島一樹のほか、メンバーの以外に、小馬徹、全京秀、高城玲、余瑋の参加を得て、小綿、中尾が発表した。
 小綿による「1960年代前半の川田の問題関心──3つのレポートから」では、1962年から1965年までのフランス留学期、特に帰国前に執筆された、フランス語による3つの未刊行草稿をとりあげた。最初の草稿は、「フランス・カトリック学生連盟」(Mission universitaire française)に提出されたレポートで、1963年末以降に執筆されたものである。川田は、1963年7月から11月までの西アフリカ渡航の際に「フランス・カトリック学生連盟」の研修に参加しており、その後にオート・ヴォルタでの予備調査を実施している。このレポートでは、モシ研究の重要性を論じるものであった一方で、興味深いことに予備調査の成果というよりも、文献研究のまとめとなっている点が特徴的である。時間を経て、フィールドワークで得られた資料の意義が明らかになっていったことがわかる。二つ目は1966年頃に執筆された、第二次世界大戦後のパンアフリカニズムを牽引した『プレザンス・アフリケーヌ』誌に掲載される予定であった草稿である。この草稿は、帰国直前の1965年3⽉になされた「国際学生会館協会」(Association des Foyers Internationaux)の討論会での⼝頭原稿がもとになっている。ここでは「伝統的」という語が近代との対比だけでなく、非ヨーロッパの文化を意味するものとして用いられていることを批判的に捉えつつ、日本の近代化とアフリカとの対比などが論じられている。最後にとりあげたものは、1965年5月にフランス語で書かれた「研究計画書」である。内容としては二つ目のものと重なっているが、独自のフィールドワーク論と「文化の三角測量」のアイディアの萌芽を読みとることができ、興味深いものとなっている。川田は、日本での外国人人類学者による調査助手の経験、フランス留学中になされた日本文化についての代弁者/インフォーマントとしての経験、アフリカでの通訳を介した調査の経験を比較しつつ、エスノセントリズムから相互理解へと展開していくフィールドワーク論を述べている。そして、このフィールドワークの三つの立場をめぐる考察には、自文化と異文化の二項の関係で考えるのではなく、ヨーロッパ、アジア、アフリカの三項での関係を捉えるという点で「文化の三角測量」の萌芽として位置づけられるものである。
 中尾の「政治組織と系譜という問題系とフィールドワークの制約──1960年代の川田順造のモシ諸王国の歴史研究について」では、1960年代の日誌、フィールドノート、手紙などを相互に参照することで、この時期の川田のフィールドワークがどのような制約のもとになされ、口頭伝承の研究にどのように焦点化していったのかを論じた。ここでは前者について述べる。
 1960年代、川田は5回のアフリカ渡航をおこなっているが、調査地であるオート・ヴォルタに1ヵ月以上滞在できた渡航は、1963年7月から11月までの予備調査と、1967年12月から1968年5月までの京都大学大サハラ探検隊と日本万国博覧会世界民族資料調査収集団(EEM)による調査であった。それ以外の調査は、外務省による国際会議のオブザーバー派遣、鉱山会社の市場調査の通訳、百貨店でのアフリカ展示の現地調整(推定)といった用務に付随して、オート・ヴォルタに数日滞在するといったものであった。また予備調査の資金調達も容易ではなく、渡航直前まで送金のやりとりが続くなど、こうした資金繰りの困難に関連する手紙やメモが残されている。アフリカでの調査研究の実績がいまだない学生にとって、研究助成の制度が確立されていない時代にいかにアフリカ渡航が困難であったのかを如実に示している。
 この点で特異であるのは、1967年からのおよそ半年のフィールドワークである。川田は1972年にフランスで博士論文を提出しているが、博士論文の執筆を可能にしたのは、この調査であった。それまでの川田のアフリカ渡航とは異なり、ここでは京都大学大サハラ探検隊とEEMという、大規模な資金を調達していたグループの一員として参加し、その支援を受けた調査であった。特に前者では、川田以外の構成員がほぼすべて京都大学関係者であったことを踏まえると、京都大学によるアフリカ研究グループの資金調達の恩恵が非京都大学関係者にも及んだことが理解できる。EEMもまた、日本の若手研究者に海外調査の機会を提供するものであったが、こうした時代的なコンテクストを考慮すると、日本における戦後の人類学の発展を考えるうえで、フィールドワークの条件と研究助成との関連が大きな論点であることが浮かびあがってくる。
 上述のように、第16回資料調査および第4回研究会は充実したものであった。資料整理の作業はいまだ膨大に残されているが、可能な限り、資料調査の機会をつくり、残り半年あまりとなった共同研究期間中に必要とされるものをこなしていくこととしたい。また次回の研究会では、川田がオート・ヴォルタに長期で滞在した1970年代のフィールドワークを主題とし、フィールドワークから川田の学問を明らかにする研究を展開していく予定である。

(文責:中尾世治)