神奈川大学日本常民文化研究所

調査と研究

共同研究 ブラジル日本人入植地の歴史民俗学的研究

レジストロ植民地史補足調査

日程:2019年12月25日(水)~2020年1月6日(月)
調査先:サンパウロ州サントス市およびレジストロ市
調査者:泉水英計

ラポーサ会館での新年会

 戦前のレジストロ植民地の学校教師、戦中戦後のレジストロの産業振興の功労者について、それぞれの親族へのインタビューによる補足調査をおこなった。
 仁戸田庸吉郎氏がレジストロ第五部小学校で教鞭を執っていたのは1934年までだが、その薫陶を受けた教え子あるいは教え子の縁者たちは現在でも隔年でラポーサ(旧第五部)会館に集い「同窓会」をおこなっている。今回の調査では、サントス在住の仁戸田氏の孫から彼の晩年について聞書した。
 製茶はレジストロのかつての基幹産業であり、清水宗二郎氏は製茶組合(Cha Tupi)の創設者のひとりであった。農村地区電化電話組合や日伯文化協会でも重要な役割を果たしている。レジストロ在住の清水氏の孫からは、清水家自身の茶業経営と製茶組合の変遷について聞書した。
 戦争で中断したサンパウロ州への日本移民を再開したのは1954年の養蚕移民であった。そのひとり福澤正三氏は秩父蚕糸の技師であったが、当時レジストロに養蚕業はなく、蔬菜や果実の栽培あるいは養鶏で積極的な農家経営をし、コチア産業組合のレジストロ代表を務めた。サンパウロ在住の福澤氏の次男と四男、レジストロ在住の長男から福澤氏のライフヒストリーを聞書した。
 レジストロ植民地にあるラポーサ会館では、元日にかつての近隣住民が集いフォーマルな「新年会」がおこなわれている。この儀式の記録撮影とあわせ、参集した旧住民から、以前の調査での不明点について聞書し、また、現在ラポーサ会館を中心におこなわれているエコツーリズムの取り組みについて説明を受けた。

(文責:泉水英計)