神奈川大学日本常民文化研究所

調査と研究

基盤共同研究 日本常民文化研究所所蔵資料からみるフィールド・サイエンスの史的展開

第13回 公開研究会 終了報告

「早川孝太郎とその時代」須藤功氏(民俗学写真家)

日時:2024年9月18日(水)16:15~17:45
会場:横浜キャンパス9号館12室 (日本常民文化研究所)(オンライン併用 Zoom)

研究会風景
須藤功(2016)『早川孝太郎 民間に存在
するすべての精神的所産』

 早川孝太郎(1889〜1956)は、愛知県南設楽郡⻑篠村に⽣れ、上京して洋画と⽇本画を学んだが、柳⽥国男に⾒いだされ⺠俗学の道に⼊る。渋沢敬三に花祭を紹介し、その⻑⼤な記録『花祭』(1930)は⽇本⺠俗学の古典的名著である。また、アチック・ミューゼアムのコレクションを郷⼟玩具から「⺠俗品」へとシフトさせ、⺠具研究という分野を切り開いた点でも早川の存在は⼤きい。⼀⽅で、1933年に九州帝国⼤学農政学教室に向かった以後の早川の⾜跡はあまり知られていなかった。
 この部分に光を当てたのが須藤功(2016)『早川孝太郎 ⺠間に存在するすべての精神的所産』であった。須藤⽒は、航空⾃衛隊員として写真を学び、浜松基地勤務中に花祭に接し⺠俗写真家の道に⼊ったという。とくに、1966年より15年間にわたり⽇本観光⽂化研究所のメンバーとなり、宮本常⼀の指導のもとで撮影を続けた。経済成⻑期の急激な変化のなかにも往時の⾯影の残る農⼭漁村の⾵景と⼈々の暮らしを切り取った数多くの作品がある。
 今回の研究会では、須藤⽒は、早川の没後に⼿許に残された個⼈⽂書類を駆使して書いた評伝をもとに、その後半⽣を含めた早川の経歴を辿った。九州から戻った早川は、農村更⽣協会につとめ満蒙開拓移⺠事業に深く関与していた。その延⻑で戦後は満蒙開拓少年義勇軍の訓練所が改組された全国農業会⾼等農事講習所の教員を務めることになった。戦中の満洲や朝鮮半島での雑穀⽣産に関する調査や戦後の農村⾷⽣活実態調査、あるいは、離島振興法のレールを敷いた対⾺総合開発診断など、ときどきの実践的な課題と結びついていた点は注⽬されよう。
 質疑応答では、早川にとっての絵画と写真の意味合い、早川からアチックへの影響とアチックから早川への影響などざまざまな論点について活発な質問がなされた。

(⽂責:泉⽔英計)