神奈川大学日本常民文化研究所

調査と研究

基幹共同研究「常民生活誌に関する総合的研究」—便所の歴史・民俗に関する総合的研究—


2022年度の活動報告—近現代における便所の発展を中心に—

 基幹共同研究「便所の歴史・民俗に関する総合的研究」(代表者:須崎文代、共同研究者:泉水英計、角南総一郎、周星、堀充宏、内田青蔵)では、2019年度以来、主に古代・中世・近世を対象とした歴史・民俗に関する検討を行ってきた。2022年度は、下記のとおり近代を中心とした便所の歴史・民俗について公開研究会を実施し、便所をとりまく社会情勢やインフラ整備、産業の発達などを含めて議論を重ねた。

 まず、第9回にあたる公開研究会は、日本工業大学教授の安野彰氏にご登壇いただき、「改良汲取便所と水槽便所 —大正・昭和初期における便槽の改良」(2022年12月11日 オンライン開催)をテーマに実施した。開国以降、国家をあげて推進された衛生改革にもとづき上下水道が敷設されたが、日本国内では個別の敷地内に設置された浄化槽がそれを補う設備としての役割を果たしていた。また、水洗化や洋風便座が普及するまでの過程における、改良汲取便所や水槽便所の展開とそれらの機構、加えて付帯する換気装置などについてご発表いただいた(図1)。日本国内において、とくに地方農村部では下水道の敷設が戦後まで普及しなかった実態がある。そうした状況に対して考案されたのが上記の装置であり、やがて水洗化が普及するまで一過性ながら役割を果たしたことは注目に値すると考えられた(図1・2)。

  • 図1 第9回公開研究会ポスター(安野彰氏)
  • 図2 旧足立別邸の遺構(安野撮影)

 続いて、第10回は株式会社 LIXIL INAX ライブミュージアムにて主任学芸員を務める後藤泰男氏のご登壇によって「染付古便器の粋 —清らかさの考察」(2023年2月9日 横浜キャンパス8号館15教室 オンライン併用)と題した公開研究会を開催した。同ミュージアムでは、衛生陶器の製造販売を通じて日本の近代化を支えた伊奈製陶の業績にもとづく収蔵・展示の蓄積があり、またタイトルに掲げられている「染付古便器」という青花(白地に藍青色の絵文様のある陶磁器)を応用した美しい便器の収集も行われている。本発表では、こうした製品化とデザインという視点を通じて、近代において便器や便所のあり方がどのように変化してきたかという点について意見交換を行った(図3・4)。
 また、研究メンバーの須崎文代(印牧岳彦特別助教および研究室所属学生を含む)を中心として、伝統的慣習である下肥利用の現代的展開であるコンポストトイレの機構およびデザインについての検討を開始した。地球環境問題が重視される昨今、人間や動物の排泄物を土壌の豊かさへと還元する取り組みは年々重視されてきていると考えられる。建築分野に立脚すれば、大規模なスクラップ・アンド・ビルドの開発行為を目標とするのではなく、自然環境とのバランスのなかに人間生活を位置づけようとする循環型社会のデザインが進んでいるためである。そこで注目されるのは、本共同研究が明らかにしようとする伝統知の蓄積であり、近現代社会が捨て去ろうとした営みの再評価なのだと考えられるのである。

  • 図3 第10回公開研究会ポスター(後藤泰男氏)
  • 図4 LIXILライブミュージアムの染付古便器

 来年度は、さらに現代における展開を中心として議論を重ねたいと考えている。とりわけ、所員メンバーの泉水英計が研究対象としている戦後の衛生事情の変容や、排せつと地球環境という、人間環境の基盤としてより根源的な問題を、哲学・思想や応用科学の観点も含めて検討していく予定である。
 また、文献を中心とした史資料の収集および現地調査については断片的な状態であることから、来年度~再来年度にかけて集中して行っていく方針である。現地調査に関しては、これまでCovid-19感染拡大の影響下で渡航等が制約された状況であったが、徐々に緩和されている傾向にあるため、来年度以降には段階的に実施したいと考えている。さらに、再来年度には「便所の歴史・民俗に関する総合的研究」の5年間の蓄積をとりまとめ、公開シンポジウムを開催する計画である。
 総じて、本共同研究の活動は、人間の衣食住に関する歴史・民俗の「住」部分を担うものであり、生活とそれを支える環境との相互関係の広がりを含めて検討するために「便所」を対象としてきた。数々の公開研究会の開催を通じて、知見や資料の蓄積がある程度のヴォリュームとして積み重ねされてきたことは、大変有意義な成果であると考えられる。こうした成果は、歴史・民俗研究の業績として資するのみならず、伝統知を生かして未来へつなげようとする現代的な取り組みのなかでも還元されるべきものと考えられる。いずれは、他の共同研究の成果と合わせて、総合知として結集されるであろうと期待している。
 本共同研究は、時代、分野を問わず、「便所」や「排せつ」、「糞尿」のあり方を通して、人間生活の本質を広く議論できる場となることを願っている。興味関心をお持ちの方は、以降の研究会にもぜひご参加いただきたい。

(文責:須崎文代)

2022年度の活動

  • 第9回公開研究会「改良汲取便所と水槽便所 —大正・昭和初期における便槽の改良」安野彰(日本工業大学 教授) 2022年12月11日 オンライン開催
  • 第10回公開研究会「染付古便器の粋 —清らかさの考察」後藤泰男(株式会社LIXIL INAXライブミュージアム 主任学芸員) 2023年2月9日 横浜キャンパス8号館15教室 オンライン併用