神奈川大学日本常民文化研究所

調査と研究

基盤共同研究 日本常民文化研究所所蔵資料からみるフィールド・サイエンスの史的展開

終了報告 第14回 公開研究会

「柳田と渋沢の衝突および “二つのミンゾク学” 百年の学史的考察」
전경수(全京秀)氏
(ソウル大学名誉教授・日本常民文化研究所客員研究員)

日程:2025年10月15日(水) 17:20~18:50
会場:横浜キャンパス9号館12室 (日本常民文化研究所)(オンライン併用 Zoom)

  • 会場の聴衆
  • 全京秀氏

 民俗学と民族学の同音異義を指す「二つのミンゾク学」の関係についてはこれまでも繰り返し論じられてきたが、全氏はいまいちど丁寧に関係者の証言資料にあたりつつ、直近の奥三河調査で得た情報を加味し、両学問の対立関係の始点について大胆な仮説を提示した。渋沢敬三は、1928年(昭和8)3月に自邸での花祭り上演を計画していた。招待状もすでに発送されていたにもかかわらず、柳田国男がこの上演を中止させた。柳田は敬三よりも早くに花祭りに着目していたが、この時期には『雪国の春』の完成を優先しなければならず横やりを入れたのであった。彼が資金援助し柳田が編集していた雑誌『民族』と入れ替わりに刊行が始まった『民俗学』に柳田が加わらなかったのは、おおいに面目を潰された敬三の意向も影響していたという。このようなパーソナルな関係で学問の変遷を説明することには異論もあるだろう。しかし、日本のミンゾク学者たちは比較的小規模な学術コミュニティを形成していたのであるから、民俗学の指導者と民族学の最大支援者のパーソナルな関係がまったく影響しなかったとはかんがえがたい。この点を含め全氏の話は大胆な仮説を立てることの意義を納得させるものであり、また、ミンゾク学に従事する者たちにとって周知の人物たちの葛藤はドラマとして聞き応えのあるものであった。

(文責:泉水英計)