神奈川大学日本常民文化研究所

調査と研究

基盤共同研究 日本常民文化研究所所蔵資料からみるフィールド・サイエンスの史的展開

第1次東南アジア稲作民族文化綜合調査団(1957−58年)の追跡調査(タイ)

日程:2017年3月4日(土)~3月14日(火)
調査先:タイ王国チェンマイ県チェンマイ市、メーテーン郡サンパーヤーング行政区、
 メーテーン郡チョーレー行政区、サンカムペーン郡ブアクカーング行政区、メージョー大学、
 ランプーン県ムアング郡トントング行政区、バンコク王宮前広場 など
参加者:佐野賢治(所員/2017年3月7~12日)、泉水英計(所員/2017年3月7~10日)、
 高城玲(所員/2017年3月4~14日)

写真1 タイ王国チェンマイ県サンパートゥング村の村長
一家(1958年3月)(撮影:綾部恒雄 国立民族学博物館所蔵)
写真2 サンパートゥング村での追跡調査。写真に見入る
住民(2017年3月)
写真3 サンパートゥング村の村長宅(1958年3月)
(撮影:綾部恒雄 国立民族学博物館所蔵)
写真4 現在の村長宅跡地。現在は村の市場になってい
る(2017年3月)
写真5 サンパートゥング村の小学校(1958年3月)
(撮影:綾部恒雄 国立民族学博物館所蔵)

 神奈川大学日本常民文化研究所(以下、常民研)では、1999年に解散した財団法人民族学振興会の運営資料を引き継いで所蔵している。その資料の中には、民族学振興会の前身である日本民族学協会時代に組織された東南アジア稲作民族文化綜合調査団(以下、東南アジア稲作調査団)の主に運営面に関連する文書類が含まれている。今回は、1957年から58年にかけて行われた第1次東南アジア稲作調査団調査地の中でもタイのチェンマイ県を中心にその後の現状確認と追跡調査を行った。
 東南アジア稲作民族文化調査は、1954年に創設20周年をむかえた民族学協会が「民族学界の緊急かつ重要な課題」として企画した記念事業の総合調査である。当時の民族学協会は、会長が渋沢敬三、理事長が岡正雄であり、その下に東南アジア稲作民族文化綜合調査委員会を組織した。常民研に所蔵されている1957年3月刊行の第1次調査にむけた趣意書によれば、委員長は岡正雄がつとめ、幹事には馬淵東一、白鳥芳郎、河部利夫、松本信広(団長)、浅井恵倫、八幡一郎、関敬吾、宮本延人、西村朝日太郎、山本達郎、蒲生礼一が名を連ねている。第1次の調査対象地域は、東南アジア大陸部のメコン川流域を中心とするタイ、ラオス、カンボジア、ベトナムであった。
 主な成果としては、松本信広編『インドシナ研究─東南アジア稲作民族文化綜合調査報告(1)』(1965)が刊行されているほか、一般向けの書物として『メコン紀行─民族の源流をたずねて』(1959)も出版されている。また、調査団員などが現地で撮影した大量の写真や収集品が残されており、現在はその多くが国立民族学博物館(以下、民博)に所蔵されている。
 こうした第1次稲作調査団に関する今回の現状確認と追跡調査は、タイのチェンマイ県を中心に行った。特に、民博に所蔵されている写真資料を借りて持参し、かつての調査団が調査・訪問した地域を再訪して追跡することを主な目的とした。
 第1次調査でタイの農村地域における重点的な調査を行ったのは、当時まだ東京都立大学の大学院生だった綾部恒雄である。綾部は当時、ラオスのヴィエンチャン近郊農村での調査を終え、1958年3月に北タイ、チェンマイ県メーテーン郡サンパーヤーング行政区サンパートゥング村で10日間ほどの農村調査を行っている(綾部 1965)。当初の計画ではタイでより長期の調査をする予定だったが、調査団が到着した1957年9月に政変が勃発したことにより、タイでの農村調査は縮小を余儀なくされたという事情がある。
 今回の追跡調査では、かつての調査時から60年の時を経て、民博からお借りした当時の写真を、老人の方々などに見てもらった。老人らは、特に村長一家を撮影した写真(写真1)などに多大な関心を示し、近隣の住民が急遽集まってきて、写真に関する語りが口々に語られる賑やかな場ともなった(写真2)。当時の調査自体が短期間であり、綾部による調査を記憶している人には出会えなかったが、写真に記録されていて今は存在していない人物や家屋(写真3、4)、小学校の校舎(写真5)に関する記憶を具体的に語ってくれた。また、稲作農業の機械化などにともなって現在は村から消えてしまったかつての水車(写真6)や、現在は多くが使われなくなって物置と化しているかつての米倉(写真9)の写真などに、老人らは関心を示し当時を懐かしんでいた。稲作文化に焦点を当てた当時の日本の研究者による調査で、時を経ても万人が確認しやすい写真というメディアとして記録が残されたことによって、その記録を現地コミュニティと共有しフィードバックするという新たな追跡調査の可能性が垣間見られたと言えるだろう。
 今回は、第1次稲作調査団のごく一部の調査地を再訪したにとどまったが、タイの他地域を含めた追跡調査や、岩田慶治などによるラオス農村調査の追跡調査への展開、また、日本におけるフィールド・サイエンスの歴史における東南アジア稲作調査団調査のもつ意味など、多くの課題が改めて発見された調査ともなった。

  • 写真6 サンパートゥング村の水車(1958年3月)
    (撮影:綾部恒雄 国立民族学博物館所蔵)
  • 写真8 チェンマイ県内農村部に残る現在の米倉。60年前とは屋根や柱などに使われる資材が異なる。また、現在は多くが物置となっている(2017年3月)
  • 写真7 チェンマイ県内農村部で展示用につくられた水車(2017年3月)
  • 写真9 サンパートゥング村の米倉(1958年3月)
    (撮影:綾部恒雄 国立民族学博物館所蔵)

(文責:高城 玲)

参考文献・資料

綾部恒雄 1965 「タイおよびラオスの村落生活─サンパトン(タイ)とパカオ(ラオス)比較上の覚書」 
松本信広編 『インドシナ研究─東南アジア稲作民族文化綜合調査報告(1)』 有隣堂 389-504頁。
東南アジア稲作民族文化綜合調査団編 1959 『メコン紀行─民族の源流をたずねて』 読売新聞社。
日本民族学協会 東南アジア稲作民族文化綜合調査委員会 1957 『東南アジアの稲作民族文化の綜合調査趣意書』 (神奈川大学日本常民文化研究所所蔵)。
松本信広編 1965 『インドシナ研究─東南アジア稲作民族文化綜合調査報告(1)』 有隣堂。


謝辞

 今回の調査では、国立民族学博物館に所蔵されている東南アジア稲作調査団関係の写真資料をお借りし、利用させて頂いた。関係各位にお礼申し上げます。