神奈川大学日本常民文化研究所

調査と研究

基盤共同研究 日本常民文化研究所所蔵資料からみるフィールド・サイエンスの史的展開

第4回 公開研究会「杉浦健一による南洋群島島民土地制度調査の検証」(飯髙伸五氏)
「占領と視察—『南洋新占領地視察報告』とは何か」(坂野徹氏)終了報告

日時:2017年9月27日(水)16:20~19:20
会場:神奈川大学日本常民文化研究所

  • 飯髙伸五氏
  • 坂野徹氏
会場の様子

 第一発表で扱われた杉浦健一は、東京大学の初代文化人類学教授として知られる太平洋諸島研究者である。南洋庁嘱託としてパラオを中心に土地制度調査をおこない、早い時期に応用人類学を提唱していた。飯髙氏はパラオでの長期のフィールド調査経験があり、その知見に照らして杉浦の調査村落の土地利用を検討した。飯髙氏によれば、内陸部の個々に耕地と結びつく一定数に固定されたヤシキから海岸付近での自由な家屋敷の建設へという変化が、母系的な氏族を基礎とした相続から、父系的な小家族を単位とする相続へという変化と連動するという杉浦の記述は、変化の描写としては精確であった。しかしそれは、彼のいうような文明化の一環というよりは、村落間闘争の禁止、青年団による公共事業としての湾岸道路建設、公衆衛生上の観点からの屋敷地と墓の分離といった植民地統治政策の一環であったという。杉浦の研究は、学術的には双系的関係というオセアニア人類学の論点を先取りし、実践的には、現在の土地紛争の発生を予見したものであったが、戦後のアメリカ統治時代に評価されることは少なかったという。発表ではこの他に、国立民族学博物館のアーカイブ資料にあるパラオ調査日誌と、土方久功日記を照合して、後者が杉浦の重要な案内役であったことが再確認された。
 第二発表の『南洋新占領地視察報告』とは、海軍が占領したばかりのドイツ領ミクロネシアに文部省が派遣した学術調査団の報告書である。1914年12月から翌年初夏にかけて4回にわたり、合計30名以上の学術専門家が派遣され主に地誌情報の収集をおこなった。この調査団をはじめて本格的に取り上げた坂野氏は、パラオ熱帯生物研究所の活動を解明した後、ミクロネシアを舞台とした帝国日本の科学史へと研究を展開しつつある。発表では、地球物理学の松山基範、人類学の松村瞭や長谷部言人、経済地理学の寺田貞次について、それぞれの調査行程が詳細に辿られたが、調査団に参加した学者たちの専門分野は他に、地質、動植物、医薬、農林水産、農政、植民政策を含む多岐にわたるものであった。各島々での滞在時間が短く十分な調査を実施できなかった者も出たが、全体的にすでに日本領であるという前提で観察され、また、産業開発には現地人労働力の活用を有望視する傾向がみとめられる。実際には、国際連盟委任統治領となった南洋群島は日本人移植民によって成功裏に開発された。そのとき現地人は、個人として同定される「島民」として日本統治下の南洋群島社会に改めて位置づけられていくが、坂野氏によれば、調査団の来訪時点ではいまだ匿名の「野蛮人」と認識されていたという。
 これらの発表に対して聴衆からのコメントでは、視察団の人類学者の営為がサルベージ人類学であったことや、杉浦が、ドイツ時代からの統治政策による社会の変化を吟味したうえで現行の統治政策への貢献をかんがえていたことが再確認された。杉浦についてはさらに、ヤシキを社会的な単位とした分析が不十分であることや、土地所有権の変化と連動した首長制の変化を看過したことが問題として指摘された。今回の研究会では、意図せずして、日本人学者による南洋群島調査の最初期と最晩期をみることになり、ミクロネシアをフィールドに展開した日本の学術調査を分節化する際の照準点を設定することができた。

(文責:泉水英計)