共同研究 大山崎離宮八幡宮社家・藤井家文書の研究
新着情報
- 2017年12月12日
- 第2回 島本町立歴史文化資料館調査(2017年8月31~9月3日/報告)
- 2016年12月9日
- 島本町立歴史文化資料館調査(2016年9月2~4日/報告)
調査地域
島本町立歴史文化資料館
研究目的
藤井則伴家の先祖は九州宇佐八幡宮の出で、室町時代から続く社家とされている。近世を通じて離宮八幡宮の社家として、離宮八幡宮及び神領大山崎荘の経営にも携わっていた。
これまで大山崎地域、離宮八幡宮の近世~近代の研究は『離宮八幡宮史』(魚澄惣五郎・沢井浩三)、『大山崎史叢考』(吉川一郎)、『大山崎町史』さらには『山城国大山崎荘の総合的研究』(Ⅰ、Ⅱ 神奈川大学日本常民文化研究所大山崎調査プロジェクト)によって蓄積されてきたが、今回明らかになった文書はそれらの研究で使われてない初出の文書である。
また、とくに離宮八幡宮の神領であった、旧山城国大山崎荘は、近代に入り関大明神(閻魔川)を境に西側が大阪府(山崎村→島本町)、東側が京都府(大山崎荘→大山崎町)に分割されたが、藤井家文書はその西側の社家に伝世されたまとまった資料としては初めてのものである。
期待される成果
藤井家文書は離宮八幡宮社家の文書としては初出の文書であり、また旧山崎村に在住した社家の文書としても初めてのものである。分離された旧山崎村側から見た幕末・維新期の離宮八幡宮の再編過程が浮き彫りにされるものと期待している。