基盤共同研究 日本常民文化研究所所蔵資料からみるフィールド・サイエンスの史的展開
共同研究「日本常民文化研究所所蔵資料からみるフィールド・サイエンスの史的展開」
研究セミナー 終了報告
「小林保祥の描いた台湾パイワン族の世界」
日時:2019年2月15日(金)13:30~16:00
場所:平塚市美術館 アトリエA
(神奈川県平塚市西八幡1-3-3)
平塚市美術館が所蔵する小林保祥の作品が初めて展示される機会をとらえ、小林の生涯を紹介し、パイワン族の生活記録という観点から彼の作品を批評し、あわせて彼の作品の現代的な意味について検討する研究セミナーが開催された。
まず、中生勝美氏から、調査から明らかになったその生涯の紹介があった。小林保祥【やすよし】は1893年に文京区で生まれ、幼少期に植物学者の牧野富太郎から絵画を習い、その後、太平洋画研究所に在籍して本格的な画業の訓練を受けた。父が医師として在勤する台湾に惹かれ、台湾総督府臨時台湾旧慣調査会(蕃族調査会)に就職し、堀江芳乃と結婚して台北に居を構えた。高砂族と呼ばれていた山地先住民族の調査に携わり、『台湾蕃族調査報告書』(24冊)と『台湾蕃族図譜』(2冊)の編纂作業において実質的な主力となった。この調査事業終了後も高砂族への関心と愛着は止みがたく、1917年より台湾島南部の山岳地帯のパイワン族集落に夫人とともに居住し、絵画制作とともに民俗調査を継続した。1920年に高雄州パイワン工芸指導所が設立されると、その主事として民芸品制作の指導にあたり、パイワン族の頭目の娘を養女にして住民と親密な関係を築いた。1938年に工芸指導所を退職して帰国し、民俗調査の成果は柳田国男の助力により『高砂族パイワヌの民芸』(1944、三国書房)として刊行された。続編の原稿も用意されたが、未刊におわっている。晩年は、夫人の出生地である平塚市で過ごし、日本民族の源流は黒潮に乗って移動してきた高砂族であるという主題を掲げ、パイワン族の生活を油彩画に描き続けた。1984年7月16日、永眠。
つぎに、参加者は美術館展示室に移動し、ギャラリートークの形式で、そこに描かれたパイワン族の生活について質疑応答を重ねた。今期の展示室には3点の小林作品が展示されたが、「高砂族の生活」(1951)と題された500号の大作が観衆の注目を集めた。小林が居住した密集集落の生活の諸相を絵巻物のように描き出した力作である。
つづいて、参加者は会場に戻り、アチックフィルム「台湾高雄州潮州郡下パイワン族の採訪記録」(1937) が上映された。日本常民文化研究所が所有する動画記録であり、同時期の他地域の動画記録とともに『甦る民俗映像』(2016、岩波書店) として出版され、本作品を含む一部は神奈川大学デジタルアーカイブ でも公開されている。
最後に、アチックフィルムの出版を手がけた高城玲氏が、2010年、2011年におこなった台湾の撮影地での上映会について、映像記録の現在的な意味という観点からの分析を踏まえた報告をおこなった。現地上映会では、身体を介した記憶が集団としての鑑賞者に呼び覚まされ、人々に共鳴がおこり、映像に関連した掛歌の唱和といった情緒的な感情の共有が生起したという。アチックフィルムは無声であるが、現地上映会により欠けていた音声を補完することになった。また、アチックフィルムはモノトーンであるが、同一の対象物を描いた小林の油彩画は欠落した色彩を再現する点で貴重な資料である。
小林が遺した作品は平塚市博物館に寄贈され、後に美術館が分立しため平塚市美術館の収蔵品となっていたが、美術作品としての評価が定まらず展示室に出されることはなかった。しかし、小林の民俗調査は台湾先住民研究の歴史のなかで重要であり、彼の所蔵していた写真は国立民族学博物館に保管され貴重な資料となっている。そこで、彼が制作した絵画作品にもこの観点から光りを当て、彼の業績を広く紹介するために企画された研究セミナーであった。当日、会場には、平塚カトリック教会、平塚市福祉会館、小林の親族である石原哉氏から貸与された作品も搬入し、参加者の観覧に供した。貸与に応じていただいたこれらの方々と、企画の意図を汲み取り展示をおこなっていただいた平塚市美術館とに感謝したい。
(文責:泉水英計)