ATTIC MUSIUM

神奈川大学
日本常民文化研究所
Institute for the Study of Japanese Folk Culture Kanagawa University

調査と研究

共同研究 海域・海村の景観史に関する総合的研究

2016年度第2回研究会

日 時:2016年8月10日(水) 15時より
場 所:日本常民文化研究所
発表者:川島秀一(日本常民文化研究所 客員研究員、東北大学)

発表タイトル
「ガード下の漁場図 —籤で決める漁業—」

(概要) 
 これまで列島各地から発見された漁場図に対しては、研究者側からのアプローチが主で、その図を漁業者自体がどのように利用してきたかということについては、あまり考察がされてこなかった。本発表では、漁場図の利用の実態について、「生きられ」かつ動いている漁場図の意味を探ることを目的にしている。
 対象地は、紀伊半島東部の沿岸部、志摩半島からのリアス式海岸が途絶えようとする二木島湾の甫母(三重県熊野市)から、御浜七里を経て潮岬までに至る沿岸の各漁村である。漁業対象は、甫母のイセエビ漁、那智勝浦町下里のシロウオ漁、串本町津荷のアオリイカ漁などの、沿岸漁業である。これらの漁は、それぞれ刺網、四手網、タタキ網と漁法も違うが、限られた沿岸の漁場に、漁業者が集中しているという条件は同様である。必然的に漁場を区分けし、そこに漁場図が生まれ、それを「籤」という方法で選択し、漁期内の操業について、各地で独自の工夫がされている。
 たとえば、津荷のアオリイカ漁では、漁期の始めに、ガード下に画かれている漁場の略図に向かって漁業者たちが漁場の境界を決め、その後に籤を引いて分けている。漁場図というものを固定しないで、利用するときは流動的なものであったことが理解される。
 二木島と甫母とのイセエビをめぐる漁場の境界論争のときは、その調停のために規約を制定し、新たな漁場図を作り直している。これらの漁場図は、境界論争などの出来事があったときに初めて見直され、新しい漁場名などが生まれるが、通常の漁業の操業には、漁場は体で覚えており、図と照合する必要などはない。下里のシロウオ漁でも、籤によって漁場を決めるが、そのために作られた漁場図は存在していない。
 地図として目に見えない漁場図をどのように表現し、漁場をどのように漁業者に平等に分け与えているか、列島の各地の事例報告も交えながら、課題の整理を行なった。