神奈川大学日本常民文化研究所

調査と研究

基盤共同研究 渋沢敬三に関する総合的研究

田中梅治の著作に関する資料調査

日程:2024年10月30日(水)~10月31日(木)
調査先:邑南町郷土館(島根県邑智郡邑南町)、宮本常一記念館(山口県大島郡周防大島町)
調査者:山本志乃、川島秀一

邑南町郷土館(2024.10.30)
「薄墨」の号をもつ俳人でもあった田中梅治翁の句碑 
「馬おひや岡乃小家の角行灯」(2024.10.30)

 渋沢敬三と地方在住の研究者との交流に関する調査の一環として、『粒々辛苦・流汗一滴 島根県邑智郡田所村農作覚書』(アチックミューゼアム彙報・1941年)の作者である田中梅治(1868-1940)の資料調査を島根県にて実施した。篤農家であり、また信用組合の設立などに尽力した実践家でもある田中梅治は、約800点にものぼる膨大な資料を残しており、それらは現在邑南町郷土館で保管され、整理が進められている(公開については未定)。10月30日の来訪時には、ちょうどその一部が展示されていたため、『粒々辛苦』をはじめとする直筆の資料数点を見ることができた。梅治翁の資料は、いずれも緻密な筆文字がびっしりと並ぶ重厚な冊子であり、反故紙を表紙に仕立てるなど、清貧な人柄も偲ばれる。永く保存に耐えることを意図して書かれたもので、翁はこれらを「永久保存目録」に記して後世に託している。また『粒々辛苦』の原本には、アチックからの刊行時には掲載されていない「序言」と「附言」があり、梅治翁がこの書物を記した背景や真意を読み取ることができた。
 田中梅治翁に関しては、宮本常一の『忘れられた日本人』に「文字を持つ伝承者」として詳細な記載がある。このたびの調査では、翌10月31日に周防大島の宮本常一記念館にも足を運び、昭和14(1939)年11月に宮本が梅治翁を訪ねた折の調査ノートを閲覧して、当時の旅の行程などを確認した。
 今回の調査により、文字を記すこと、生活文化を書き残すことが何を意味するのか、そして「書物」とは何かを改めて深く考えさせられた。田中梅治と宮本常一という二人の先達が残した資料から教えられたことを、現在編集が進められている共同研究の成果にも反映させたいと考えている。

(文責:山本志乃)