研究拠点 気仙沼大島漁協文庫の管理と活用
この10年を振り返って
神奈川大学日本常民文化研究所(以下、常民研と記す)では、「研究拠点 気仙沼大島漁協文庫の管理と活用」というプロジェクト活動を行っている。これは言うまでもなく2011年の東日本大震災をきっかけとしたものであり、その後も気仙沼大島とはさまざまな活動を行ってきた。
2021年は東日本大震災発災から10年の節目であり、本来ならば何らかの記念的な活動が行われるはずであるが、2019年末のコロナ禍発生以来、大島を訪問することすらままならない状況で2年が過ぎようとしている。しかしこの間、大島では新しい動きもあった。そこで、本稿では改めて2011年からの活動を振り返りながら、新しい大島での活動を紹介し、今後の展望としたい。
はじまり
2011年3月11日に発災した東日本大震災では気仙沼大島も大きな被害を受けた。常民研は漁業史関係の資料を通じて長年大島との交流を断続的に行っていた関係で、震災当初から現地の状況についての情報を収集していたところ、大島漁業協同組合(現・宮城県漁業協同組合気仙沼地区支所大島出張所)の事務所全体が津波を被る被害を受けたとの情報がもたらされた。2011年当時、神奈川大学では「KU東北ボランティア駅伝」として学生・教職員のボランティア支援チームを被災地に派遣する全学的取組を行っていたこともあり、常民研と歴史民俗資料学研究科大学院は「常民・歴民合同被災資料救出プロジェクト」(以下「合同プロジェクト」)を発足させ、2011年5月13日から31日の期間に数人ずつのチームで日程をずらしながら、のべ100名以上で、汚泥にまみれた大島漁協資料約4,000点の保全、箱詰めなどの作業を行い、文化庁の文化財レスキュー事業の一環として6月1日に奈良文化財研究所へと送り出した。
奈良文化財研究所での真空凍結乾燥
大島で応急処置を施した段ボール約300箱の資料は、奈良文化財研究所の大型真空凍結乾燥機で2011年12月までに乾燥処理が施され、ようやく腐敗などの危機を免れることができた。ここに至るまでには、東北地方太平洋沖地震被災文化財等救援委員会や宮城歴史資料保全ネットワーク、奈良文化財研究所、宮城県教育委員会、気仙沼市教育委員会等、各方面の機関や個人の方々の大きなご協力を頂いた。
漁協文庫の建設
このようにして漁協資料はいったん奈良に運び出されたが、現地大島では真空凍結乾燥処置終了後に大量な資料を戻す場所の選定が課題となっていた。もとの漁協事務所は取り壊しが決まっており、被災地大島には代替の建物はなかった。そこで常民研では工学部建築学科建築デザイン研究室と共同で三井物産環境基金に「気仙沼大島漁業史文庫の復興」計画への助成を申請し幸いにも採択され、資料を収蔵する建物の建設計画を開始した。当初、建設用地が二転三転したが2013 年末には用地も決定し、2015年春には建設が開始された。これは建築デザインを学ぶ学生達が地元の工務店を手伝うかたちで参加する機会ともなった。
仮目録の作成と資料の大島帰還
2012年6月末~7月に8日間、合同プロジェクトチームでは、奈良文化財研究所に仮保管されていた資料の仮目録作成に着手した。この作業は夏の間に終了し、同年11月には大島小学校の空き教室に300箱の資料を無事に戻すことができた。また同年11月には大島で「第1回漁業史文庫を語る会」を開催し、大島の皆さんにプロジェクトの意義をご理解いただくようつとめた。
ドライクリーニング作業
2013年秋から約1年をかけて、合同プロジェクトが大島で数回の合宿を行い、資料のドライクリーニング、仮目録との照合作業などを行い2014年秋にはおおかたの作業は終了した。
漁協文庫の完成
建築デザイン研究室によって設計された新しい資料収蔵庫[気仙沼大島漁協文庫](以下[文庫])は、2015年6月22日に地鎮祭が行われ、9月26日に完成した。並行して仮目録照合作業が行われていた漁協資料も[文庫]に運び込まれ書架に並べられた。震災後に大島から運び出されて以来、段ボール箱に詰め込まれていた漁協資料は、約4年をかけてようやく落ち着く場所を得ることとなった。
また[文庫]の完成にあわせ2015年9月26日に「第2回漁業史文庫を語る会─漁協文庫の未来にむけてのシンポジウム 漁村文化と大島の未来」を開催し、翌2016年2月25日の落成式で一応の完成をみた。
共同研究の開始
常民研では完成した[文庫]を常民研の研究拠点と位置づけ、2015年から共同研究「海域・海村の景観史に関する総合的研究」により大島をフィールドとした研究が開始された。一方、国際常民文化研究機構は、第2期共同研究(奨励)として気仙沼大島の千葉勝衛氏を代表とする研究グループの「宮城県気仙沼大島における遠洋漁業の歴史的変遷に関する研究─震災救出資料を中心として─」(研究期間2016年4月1日~2019年3月31日)を採択した。救出した漁協資料を基礎にした本共同研究は、成果として2019年2月に大島公民館・研修室で、第5回共同研究フォーラム「気仙沼大島における遠洋漁業の歴史─漁船員たちの航路をたどって─」を開催し、報告書『宮城県気仙沼大島における遠洋漁業の歴史的変遷に関する研究─震災救出資料を中心として─』を刊行した。
漁協文庫資料の保全と目録の完成
2015年に新しい[文庫]建物に搬入された資料は、新たなカビの発生などの心配はなかったが、明治・大正期の資料の破損や劣化を防ぐ必要があること、目録を完成させ公開可能な状態に持っていく必要があることなどが常民研で議論され、2018年度は常民研と歴史民俗資料学研究科博士後期課程大学院生のチームで5回の大島での合宿調査を実施した。作業は、目録内容(タイトル、分類番号)の確定、分類番号付与とラベル貼付、資料の簡易修理(クリップ等除去)、装備(中性紙厚紙フォルダー収納)とし、2019年2月までに配架済み資料の目録が完成し公開可能な状態となった。
さまざまなプロジェクトの始動
上記のようなさまざまな作業も、常に地元大島の方々の協力を得ながら進めてきた。[文庫]では2015年に大島在住者と神奈川大学の有志で「気仙沼大島漁協文庫の会」を設立、漁協文庫の管理・運営にあたることになった。また「漁業史文庫を語る会」として、2017年9月に第3回を開催、講演「もののけ姫から日本文化をみる─草木国土悉皆成仏」(佐野賢治氏)が浅根コミュニティセンターで行われ、ついで2019年12月には第4回「米と日本文化─“福田„(ふくでん)行事を中心に─(佐野賢治氏)」「食がつなぐ未来(山崎祐子氏)」の講演が大島公民館にて開催された。
また、2018年、2019年には、歴史民俗資料学研究科大学院生が大島での民俗調査を行い、延べ50名以上の大学院生が参加した。その成果は『崎浜の民俗─宮城県気仙沼市大島崎浜地区(神奈川大学歴史民俗調査報告21集)』(2020年刊)として刊行されている。
地元からの発信の動きも活発になってきている。2012年に気仙沼・大島漁村文化研究会がトヨタ財団東日本復興支援事業を得て『はやわかり気仙沼・大島漁村誌』を発刊、また気仙沼・大島みらい創り協議会では島民と交流しながら防災・減災を学ぶための『減災教育の教科書』(2016年刊、2017年に増補改訂版刊)を発刊した。
2019年4月7日(日)、本州(気仙沼)と大島を結ぶ気仙沼大島大橋が完成した。2011年震災時にはフェリーが損傷で使用不可能となり、一時的に救援の手が全く届かない孤立無援の厳しい経験を経ていた中で、「気仙沼大島大橋」の完成は大きな出来事であった。そのような中、気仙沼・大島みらい創り協議会では「気仙沼・大島、民俗学の島づくり事業」が日本離島センターの「令和2年度離島人材育成基金助成事業」に採択され、島の伝承を大切にしながら大島の未来を模索する試みとして、気仙沼大島と民俗学の関わりや漁業制度資料等についての論考や大島小学校収蔵民具の再整理の成果などが収載された『大島の記憶─伝承の島づくりへI』(2021年刊)を発刊し、大島の歴史と民俗を発信する冊子として継続的な刊行が計画されている。
以上、数多くの方々に助けられたこの10年を振り返ってきた。この間に、常民研ではプロジェクト当初の中心所員が相次いで退職し、震災時の合同プロジェクトの活動や当時の大島を知る所員も少なくなってきている。
一方、大島の側にも変化があった。大島・浦の浜に生まれ、教員生活の傍ら優れた郷土史研究者として『大島誌』(1982年刊)『大島漁業組合百年史』(2006年刊)等多くの著作や古文書の採録等に力を注がれた千葉勝衛氏が2020年7月に93歳で物故された。千葉氏は[文庫]の建設や漁協資料の保全に多大な尽力をされた。合同プロジェクトを進める中では、いつも慈愛に満ちた温厚なお人柄で、教職員、大学院生等を先導されながら、自らも重い荷物を運び資料の選別作業に加わられた。[文庫]建物が完成してからは、毎日のように足を運ばれ、研究に余念がなかったと聞く。大島や常民研にとり、かけがえのない大きな存在であったことを思い、改めて感謝を捧げたい。
最後に、千葉氏の遺志を継ぐ新しい世代についても述べたい。合同プロジェクトを契機として2016年に本学大学院歴史民俗資料学研究科に入学した大島出身の小野寺佑紀氏は、仙台での学生時代に震災に遭遇、大学卒業後中学校教員の傍ら、仮設住宅に暮らす大島の人々からの聞き取りを開始し、記録した膨大な記憶や伝承をこれからの島の暮らしや防災に役立てたいと、現在博士論文執筆に取り組んでいる。千葉氏の薫陶を受け、同じように郷土大島の歴史と文化を愛おしむ小野寺氏の活躍が、大震災での常民研の活動がきっかけとなったのであれば、大きな犠牲を払った震災のなかから生まれた、未来につながる希望に満ちたご縁であると感じている。以上、大震災から10年を経て、本プロジェクトも新たなステージが始まっている事をご報告し、結びとしたい。
(文責:窪田涼子)
※本稿は『神奈川大学日本常民文化研究所 年報2020』(2022)より転載、画像を再編集したものです。